書籍出版の動機について / 牧野富太郎研究所

植物学者・牧野富太郎に関する人物研究、および伝承を目的としています。

牧野富太郎研究所について

『牧野結網補伝Ⅴ』(人脈形成編<その2>) 出版動機

牧野結網補伝Ⅴ 人脈形成編その2

 この牧野結網補伝シリーズは全五巻を予定し、平成26年6月に『牧野結網補伝Ⅰ』を発刊して以来、同年10月には『牧野結網補伝Ⅱ』を、同年11月には『牧野結網補伝Ⅲ』を継続発刊してきた。そしてこれらをまとめて『牧野結網補伝・漉川葵人著作集』として翌平成27年5月に発行し、次いで平成28年8月には『牧野結網補伝Ⅳ』を発刊した。この度『牧野結網補伝Ⅴ』を発行するに至り、同シリーズもこれを以って計画通りに完結を迎え、終刊の運びとなった。思い起こせば今から16年前に、あることがきっかけとなり、旧居の近くの古本屋で中村浩著『牧野富太郎』という伝記を購入し、中学生以来改めて読み返してみた。すると牧野富太郎のことがもっと詳しく知りたく思うようになったのである。その頃筆者が残した随筆の中に次のような文章があり、それを平成26年11月に、還暦祝いとして発行を試みた自分史『岡谷草木誌―わが心の友・カンアオイ―』に搭載したことがあった。その一節をここに紹介し、その頃抱いた心境を回顧する。

 「岡谷市の商店街、通称中央通りに甲文堂という古本屋があって、平成14年1月にそこで植物学者牧野富太郎の伝記である中村浩著『少年少女新伝記文庫 牧野富太郎』(金子書房、1958年)を購入し、中学生以来改めて読み返して見た。牧野富太郎は植物学を学ぶには、イギリスの博物学者チャールズ・ロバート・ダーウィンの『種の起源』を読めと言っている。またタバコも酒もやめろとも言っている。

 牧野富太郎は造り酒屋の倅として生まれ、一人っ子であった。そして生涯タバコも酒もやらなかった。そのお蔭で94歳まで長生きをされ、最期まで植物の研究を続けられたようである。また桜が好きで、中でもソメイヨシノを大変好み、この桜を東京全域に咲かせ巡らせたいという希望を持っていたようでもある。性格は生まれながらの坊ちゃん育ち、ひょうきん者の茶目っ気たっぷりの一面を持ち合わせていた。流石に最愛の妻・寿衛子が56歳でこの世を去った時には大変悲しんだ。その前年仙台で新種の笹を発見し、それまで苦労掛けた妻に心から感謝して、スエコザサと和名を付け、ササ・スエコヤナ・マキノと学名を付け記念したのである。

 スミレは世界に300種もあるといい、その半分の150種がこの日本にあり、その豊富さに驚いた。日本の植物の種類は約6,000種、その内牧野富太郎によって命名された新種の植物は約1,000種を超え、新変種や新たに改訂した学名を加えれば、約1,500種にのぼるそうだ。したがって偉業を成し遂げた怪物的な存在である。一つくらい自ら新種を発見し命名したく思えるのであるが、その当時草木の名無しの権平は無いという程であるから、発見は容易ではなかった。こんな偉い大事業をやってのけた男であるから、東京大学理学部植物学教室に在職中は、上からのやっかみもあったことが容易に理解できる。その上博士号取得には全く興味がなく固辞し続けたが、周りからあっても邪魔にならないから受けろと勧められたという始末、それは独学により植物学に絶対的な自信があったからであろう。

 牧野富太郎は典型的な坊ちゃん育ちであり、造り酒屋の蓄財を鷹揚に使い果した。また、大学の助手となって給料も少ないのに、13人もの子供をもうけ、豪快に借金を重ねて、欲しいがままに植物に関する膨大な書物を手にした。そして自費出版を繰り返したのである。そのあげく印刷機まで買い求める始末、欲しいものは何が何でも手に入れようとしたようである。そのことを知ると、思うがままにやらせた寿衛子夫人も大した人物と思った。牧野富太郎の生涯における全ての行動力は半端なく、驚くばかりで想像しがたい。牧野富太郎は自制心には問題があるものの、とことん貧乏生活に甘んじたせいか、人の恩を忘れなかった人物である。例えば伝記の著者中村浩の父中村春二には大変お世話になり、その病気見舞いには金銭では無く、自ら摘んだ春の七草を届けた。そして亡くなってからも悲しみに暮れる中村浩には、手紙などで心を支え、よく面倒をみたようである。

 牧野富太郎は詩や都々逸の節回しがとても巧みで好んで詠んだ。植物画も人一倍うまく描ける生まれ持った才能があった。兎に角並外れたすごい人物である。私は植物を通じ牧野富太郎のように優しい気持ちが持てるように、一歩でもその人格に近づけたらよいと思っている。そして私の生涯においても植物とともに朝を迎え、気分良く暮らしそれに親しみたいと願っている。また、この伝記との再会が牧野富太郎という人物に興味を抱かせ、その人物像を更に詳しく知りたく、研究を始める発端になったのである。」

 このようなことから日常の余暇を利用し徐々に研究が始まった。そして十年かけて資料を集め、おおよそ整った。平成24年4月に長岡市へ転居したことを契機に、牧野富太郎研究所を立ち上げ、本格的な執筆に取り組むこととなったのである。具体的な活動内容は、以前『牧野結網補伝・漉川葵人著作集』の「発刊の辞」において公表した通りであり、それを別添資料として搭載するので参考にして欲しい。また、筆者は趣味としてカンアオイをこよなく愛し、栽培して観賞するほかは、元来植物とは程遠い典型的な機械設計技術者である。従って植物学界に発表された牧野論文等についての研究や評価までは能力が足りず、研究が及ばなかったことを告白する。定年後、本腰を入れてそれ以外の特に人物像について、数多くの伝記本で語られていない部分、つまり自ら知り得たいことを、既存の伝記本に対して「補伝」と言う形で取り上げてきた。そしてこの研究もいよいよまとめの段階となったのである。従って本シリーズはB5版一千項に及び、牧野富太郎が培った明治・大正・昭和の三代を通した歴史的不透明な部分に、及ばずながら一歩でも踏み込めたものと自負し、『牧野結網補伝Ⅴ』を以って完結とする。牧野研究は尚も続く。

2017年01月18日           漉 川 葵 人

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